嫌な事があった日

即興小説(http://webken.info/live_writing/top.php)で15分
お題:そ、それは・・・嘔吐 必須要素:ギター
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 彼女の趣味はギターだ。
 決して歌わず、ただかき鳴らす。
 奏でると言うよりも周囲に音を散乱させるような乱暴な演奏だ。
 無駄に技術があり楽譜をある程度なぞっているからなんとか音楽として聞けるレベルで、人によれば騒音だと感じる場合もあるだろう。事実、狭いアパートの一室で彼女がギターを弾くと、必ずと言って良いほど隣人が壁を叩いて自己主張をするのだ。
 僕はそんな彼女の演奏が好きで、アルバイトが終わっては彼女の家へと行き、よく聞いた。夕方から夜にかけて休み休み弾く彼女は本当に楽しそうだ。
 どちらかと言えば彼女がかき鳴らす音が好きなのではなく、楽しそうな彼女を横目にして本を読むことが好きだった。
 しかしその日は少し嫌な事があった。
 バイト先で先輩から失敗を押し付けられ、店長にこっぴどく絞られた。
 その上その失敗で起きた損害が給料から引かれると言う。
 先輩は何食わぬ顔でいつも通り、店長が見ていないことを良いことに仕事を放り出し、携帯電話に向かって何か大きな笑い声を上げていた。ひどく楽しげだった。
 頭に反響するような粗野な笑い。
 それがまだ耳に残っている。
 バイトが終わり、彼女の家に着いた。
 扉を開けると彼女が嬉しそうに窓際からこちらを見ていた。
 僕が部屋に入ると挨拶をする代わりにギターを引き始める。
 かき鳴らす、人によっては騒音に聞こえるような音楽。
 ひどく楽しげな彼女。
 飛び散る汗。
 壁の音。


 気づくと音はやんでいた。
 彼女がこちらを見ている。
 呆然として僕を見ていた。
 自分の手を見ると爪が手のひらに食い込んでいる。
 喉が乾いてひくついているのがわかった。
 思い出した。
 僕は彼女にうるさいと言ってしまった。
 彼女にはギターしか無いのに。
 彼女は何も言わない。
 口を開いて出てきたのは、
 そ、それは・・・嘔吐・・・。


 涙も流さずその場に吐き散らし、彼女は倒れた。